年明けに実家の愛犬シェリが虹の橋を渡りました。香港のこととは関係ありませんが、ここに気持ちを残させてください。
1年半ほど前、突然シェリの具合が悪くなり、命の危険もあると家族から連絡がありました。
シェリのことが心配で、急いで飛行機を取って日本に帰りました。
そのとき副腎に腫瘍が見つかりましたが、もう高齢なので全身麻酔をかけての手術は負担が大きすぎるとのことで、様子を見るしかありませんでした。
直後に糖尿病であることが発覚し、朝晩のインシュリン注射が必須になりましたが、状態も落ち着いたのでいったん香港に戻りました。
一度安心しましたが根本的に病気が治ったわけではなかったので、その頃からシェリの病状はまたいつか突然悪くなるかもしれないと覚悟していました。
それからシェリは目も見えなくなってしまいましたが、食欲はあり元気でした。
私は3ヶ月に一回ほど帰国していましたが、シェリに会って安心すると同時に、毎回、もしかしたら元気なシェリに会うのは最後かもしれないとも思っていました。「次帰ってくるまで元気でね」って祈って。
前回9月に帰った時も最後にぎゅーってしてお別れしました。(シェリは甘えん坊でしたが、私からぎゅーすると嫌がるので、ちょっと嫌そうな顔をしていました)
年末には家族から、シェリのシャンプーをしたよってラインが来て微笑ましく見てて、次1ヶ月半後に会うのを楽しみにしていたのに。
2日後にシェリの状態が危険だと連絡が来て、その数時間後には病院で息を引き取ったと知らされました。
それを聞いたとき、シェリに申し訳なくて罪悪感でいっぱいでした。ちゃんとお見送りしてあげられなくてごめんね。シェリはうちに来て幸せだったのかなって。
どうにかなりそうでしたが、シェリに会いに帰らないとと思って、次の日に飛行機を取って帰国しました。
シェリはまるで眠っているようなお顔でした。
私はずっと犬を飼いたくて、中学2年生のときにようやく飼ってもらえた犬がシェリでした。楽しかった時期も辛かった時期もずっとシェリがそばにいました。
社会人になって少ししてからは家を出てしまったけど、月に1,2回はシェリに会いに帰っていました。香港に行くってなったときも1番気掛かりだったのはシェリのこと。
病気になってからはもう長くないかもしれないと思っていたけど、それから1年半も元気でいてくれました。覚悟はしていたつもりでしたが、そのときがくると本当に辛いものですね。
もう実家に帰っても、シェリが撫でて〜ってきてくれることがないなんて、とっても寂しい。シェリに会いたいし抱っこしたい。
だけど、きっとシェリは今頃目が見えて元気だった頃のように走り回って、大好きなご飯をたくさん食べてるんだろうなって思うことにします。痛い注射ももうしなくていいんだよ。
家が大好きだったから、もしかしたら家のソファで寝てるかも。
シェリという名前はフランス語のcherieから来ていて、「可愛い子」「愛しい子」という意味があります。(うちの家族は誰一人としてフランス語は分かりませんが、いい意味だなと思って名づけました。)
シェリは人懐っこい甘えん坊さんで、名前の通りとっても可愛くて愛された子でした。
シェリが亡くなってから私が帰ってくるまでに母と弟がシェリの写真を集めて飾ってくれていたのですが、その写真たちには笑顔の楽しそうなシェリがたくさん写っていて、それを見たらシェリはうちの子で幸せだったに違いないって思いました。
シェリ、うちに来てくれて、14年間たくさんの幸せをくれてありがとう。
ずっと大好きだよ。
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